『美味しんぼ』第6話「幻の魚」の感想

2019年3月30日

1988年11月21日放送、アニメ版の『美味しんぼ』第6話「幻の魚」をアマゾンプライムビデオで観ました。(美味しんぼTVシリーズ第6話)

あらすじ

初山で海原雄山と遭遇

紅志野菖蒲文平鉢

海原雄山の作品。紅志野で赤い。菖蒲文と呼んでいるが菖蒲の絵は見当たらない。

一番旨い刺し身

客人が雄山に「刺し身は何が一番旨いものなのでしょうか?」との問いに雄山は5つの食材を挙げます。

  • トラフグ(尾びれが白い「シロ」と呼ばれるもの)

  • 宮古のマグロ

  • 明石のタイ

  • 大島のシマアジ

  • 寒の時期のヒラメ(寒鮃)の縁側

これらの他にもいくつか挙げています。

  • 鯨の尾の身

  • 金沢のゴリ

  • 丹波和知川の鮎の洗い

  • 江戸前のホシガレイの洗い

これに対して士郎が「サバの刺し身」というと、雄山は笑います。

幻のサバを1本釣り

神奈川県 葉山に向かった山岡と栗田は「鮨処 大しげ」で「幻のサバ」の情報収集をするも今年は不漁で、山岡はそこで出会った釣り師の四方さん(読み方:よもさん)に一本釣りを勧められて、栗田はお腹が金色の「幻のサバ」を釣り上げます。

「幻のサバ」は「根付き」のサバだった

葉山で釣れたお腹が金色の「幻のサバ」は、春から夏にかけてニュージーランド沖まで回遊して秋頃に戻ってくる普通のサバとは違い、回遊せずに沖の根に棲む居着きのサバでした。

メモ:サバの回遊

本来、サバは春頃に伊豆半島沖で産卵して北上する。また、脂肪含有率は北方ほど高く、南方ほど低い。銚子沖や伊豆沖(アニメの舞台になった葉山)は低い。

感じたこと

士郎の使ってるリールおかしくない?

士郎は幻のサバを狙って船から竿を出していますけど、このときタイコリールの向きが下なんですよね。こんなリール見たことないんですけど・・・でも次のシーンでは、初めて釣りをしたくりこでもちゃんとタイコリールを上に向けて使っています。

楽しい、しかも、正しい

幻のサバが釣れない士郎に、釣り師の四方さんは小イワシのフカセ釣りを提案し、士郎は「面白そうだ」と乗り気になります。そして四方さんはこう言っています。

面白いと思う心が大切なんだ。釣りは遊び心を忘れてはいけませんよ。

深い言葉です。名言ですね。

私も釣りをしますから、この言葉はよく分かります。納得できる釣り方をしたり釣り友と一緒に行かないと、釣果がどんなに良くても楽しくないし、行っても意味がないと感じます。逆に釣果が悪くても、お気に入りの釣具を使って、好きな友達と会話を楽しめれば満足できるものです。

でも、どんな趣味でもそうではありませんか?

以前、社会学者の宮台真司氏が何かの公演でこう言っていたんです。正しくてしかも楽しいことじゃなくて、楽しくてしかも正しいことをやれ(大意)って。

最初は、「『楽しい』と『正しい』の両方の条件を満たすのなら順序なんて関係ないじゃない?」と思ったんですけどやっぱり違うんですよね。まず楽しいことが前提にあって、その中から正しさを見出すのが大切なんだなぁと後から気付かされました。

正しいことを前提に何かに取り組んだとしても、自分が楽しくないのなら長続きもしないし、極めることもできません。また、外から見ている誰かから見ても当然楽しくないに違いないわけで、賛同や共感も得られません。

でもその逆で、とりあえず楽しければ、たとえ最初は正しくなかったとしても、それを楽しみつつ探求を続けることは可能ですし、周囲の共感を得たり輪を広げることは可能ですからね。

ちょっと飛躍しているように聞こえるかもしれませんが、手段の中に目的が内包されている(インストールされている)というのはとても大事なことです。

最終的なゴール(成し遂げたいこと、実現したいこと)が幸せになることや楽しいことでなければ意味が無いし、それは手段にも(ゴールを目指し始めた初期段階から)同じ形で存在していなければならないということです。

サバは血抜きして熟成させてこそ美味しい

士郎はこの「幻のサバ」について、ほどよく脂が抑えられているという主旨の会話をしています。

脂肪分の少なめのサバは特に長期熟成に向いていて、5日~7日ほど熟成させると旨味が増して、ほどよく脂っぽさが出てきます。

サバ=早く食べないと腐敗して食あたりを起こすと思っている人が多いのですが、それは誤りですし昔の話です。

『美味しんぼ』第4話「活きた魚」の感想でも言及しましたが、仕込みの段階で徹底的に処理をして適切に熟成させれば確実に美味しくなります。下の動画を参考にしてみて下さい。

締め方についてはこちらを参照して下さい。↓

釣りたててでも明らかに美味しいらしいので、熟成させたらそりゃあもう更に美味しいんでしょうね。食べてみたい。

士郎は仲直りしようとしている

まだまだ。あの男が俺に直接頭を下げるまでは、あいつを負かしたことにはならんよ。って言っています。縁を切ったのに負かす必要があるんでしょうか?

「負かした時=仲直りする時」だと受け取れます。くりこもそれを聞いて(いいぞ、その意気込みだ)と言いたげに笑っていますからね。