映画『イエスタデイ』を観た感想
映画『イエスタデイ』を観ました。ビートルズ好きにとっては堪らないタイトルということで観たのですが、色々ひどい。
概要
タイトル | 原題 | 初公開日 | ジャンル | 時間 | 国 | rating | 制作費 | 売上 | 監督 |
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イエスタデイ | Yesterday | 2019年6月28日 | 音楽映画、ラブコメディ | 116分 | イギリス | G | 2600万ドル | 1億4578万6650ドル | ダニー・ボイル |
あらすじ
ある夜、街中(世界中)の電気が一斉に止まる。
イギリスの小さな海辺の町で売れないシンガーソングライターとして暮らしていた青年ジャックはその暗闇の中でバスと出会い頭の事故に合う。
それ以降、この世界にはビートルズとその名曲が存在しなかったことになっているとジャックは気づき、自分が作曲した体裁でビートルズの曲を思い出しながらレコーディングしていく。
音楽は良い、でもただそれだけ
音楽が良いのは当たり前。だってビートルズの知ってる曲がどんどん流れてくるワケですから。でも本当にそれだけ。でもこれだったらビートルズのオリジナル曲を聴いているほうがよっぽどマシだと思いました。
ビートルズは曲自体が素晴らしいんだ。だからポールやジョン抜きで曲だけが今ぽっと現れたとしても誰もが評価するはずなんだ。やっぱりビートルズって最高だよな?っていうビートルズへの愛だけで作った映画という感じです。ビートルズのファンなら、ファンが持つ知識なりに楽しめるかもしれません。
停電と記憶の謎
なぜジャックは記憶を保ったのか。他にも記憶を保った人が2人ほどいましたけど、なぜ数人だけビートルズの記憶を保てているのか、一切不明のまま終わります。
「シナリオ上、とりあえずそういう世界を作りたかった」というやっつけ感がハンパない。
音楽のヒットはそんなに単純じゃない
確かにビートルズの曲はどれも素晴らしい。私も中学生の頃からずっと聴いているのでそれはよく分かります。
でもこの映画の世界のような状態で曲が誕生したとしても、同じようにヒットしたかというと甚だ疑問です。音楽はそんなに単純じゃないと思うんです。私は譜面には見えないものの影響力のほうが曲そのものよりも大きいと思っているんです。
- 歌手の声質
- 歌手の人物像、ルックス、思想
- 楽器の演奏能力
- プロデューサーのセンス
- プロモーション能力とその資金
- 時代背景
- 運
たとえどんなにくだらない曲であったとしても、歌手が美男美人で、著名な誰かが褒め称え、広告を沢山打って露出が増えればそれだけで売れてしまう。そういう曲をイヤほど見てきましたし、世間に認知されていない隠れた名曲はきっといくつもあるでしょう。
この映画では、耳コピしたビートルズ曲は称賛されても、そこに忍び込ませるジャックのオリジナル曲は良い評価を受けません。つまり、ビートルズの曲は「真理として最高の曲」として存在していて、周囲の人々は「確かな耳」をもって「正確に評価」しているという描写なんです。
でも上で要素をリストアップしたように、「名曲が名曲として在るかどうか」はそんなに単純じゃない。
例えば、聴衆は流行り廃りに流されて耳が不確かで、ビートルズ曲をきっかけにジャックの曲も評価し始めるというストーリーならまだ一貫性があるので理解できます。でもこの映画ではそうじゃないところが実に腹立たしい(笑)
もしビートルズがジャックの売れない曲をオリジナルとしてリリースしたら、きっとある程度は売れるでしょう?
この映画自体もそう。ビートルズという偉大なバンドの名前と曲名を使っただけで一定の評価を得ることができる。これがビートルズじゃなくて名もないバンドだったら、あなたは映画を観たでしょうか。これが全てです。
クラシック曲ではそれが顕著
ラフマニノフやアルベニス、Dスカルラッティやバッハは偉大な作曲家です。でもだからといって、耳コピを頼りに誰が弾いても絶賛されるワケではないでしょう?特にクラシックは曲の解釈の仕方、演奏技術が非常にシビアに評価され、演奏者の容姿や属性は二の次です。
ジャックは特段の演奏技術を持ち合わせているわけでもなく、曲もただの耳コピです。それで本家のように売れてしまうのは、監督からすれば「それくらい素晴らしい音楽なのだ」ということなのかもしれませんが、さすがに舐めすぎでしょう。「曲さえあればメンバーにポールやジョンが居なくても良かった」と言っているに等しい。
また、私はジョージ・マーティンがいなければビートルズはあそこまで成功しなかったのではないかと思っているくらい彼の功績を讃えているのですが、この映画はビートルズメンバーや彼らを支えた人たちを蔑ろにしているんじゃないかとさえ思ってしまいます。この映画にはビートルズ曲への愛は感じられるけど、ビートルズやその周囲へのリスペクトが全然感じられない。
記憶のある2人からの感謝
ビートルズの記憶のある2人がジャックの目の前に現れて、「再現してくれてありがとう」と感謝をします。
この話もよく分からなかった。私だったら「改悪をした上に自分の曲だと名乗るなんて何様だ」とキレ散らかしますけどね。(笑)
総じて駄作と言わざるを得ない
監督たちの熱意も分かるんです。各シーンと、実際にビートルズメンバーが作曲した時のエピソードにはシンクロする部分があるので、そういうマニアックな拘りをもって制作したということは伝わってきます。一部のコア層はそういうところに共通点をみつけて楽しめるかもしれません。でもそれと映画の品質は別問題です。
上でも触れた通り、私は世の中の売れている音楽の多くが正当な評価を得て売れているとは思っていません。「皆は本当に音楽を正当に評価しているかい?」という問いかけの意味を持つ映画だったらそれなりに視聴の意義を得られたでしょう。あるいは、映画でカバーされている演奏がどれもオリジナルを超えるくらい素晴らしいものだったら、それはそれで楽しめたし評価できたでしょう。あるいはストーリーの本筋が素晴らしかったり。
そういう褒めるところが見つけられなかったという点で今回はめちゃくちゃ辛口評価になりましたが、これを観て若い世代の人が少しでもビートルズに興味を持つきっかけになるのであれば、それはそれで存在意義があるとは思います。
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