映画『テラビシアにかける橋』(2007年)を観た感想

ガボア・クスポ(Gábor Csupó)監督、キャサリン・パターソン原作、ジョシュ・ハッチャーソンとアナソフィア・ロブ主演作の映画『テラビシアにかける橋』(2007年)を観ました。

概要

概要
タイトル原題初公開日ジャンル時間rating制作費売上監督
テラビシアにかける橋Bridge to Terabithia2007年2月16日ファンタジー映画95分アメリカ7+25,000,000ドル137,984,788ドルガボア・クスポ

制作費2500万ドルに対して、全世界興行収入は5.5倍の約1億3800万ドルでやや不振。

原作は1985年にキャサリン・パターソンによって書かれた同名の児童文学で、原作者の息子(デヴィッド)の親友に起こった出来事が原作のきっかけになっている。ちなみに本作で脚本・制作を担当しているのがそのデヴィッド・パターソンであり、原作者の息子。つまり親子共作の映画。

あらすじ

5人兄弟の貧しい家に生まれた主人公ジェス・アーロンズは夏のあいだに学校で一番の俊足となるべく訓練したが、転校生のレスリー・バークはそのジェスをも追い抜いてしまう。

学校で疎外されていた2人はすぐに仲良くなる。ある日ふたりは森の中で、木にぶら下げられたロープでしか辿り着けない秘密の場所で、怪物や巨人がいるテラビシアという王国を作りはじめ、王と女王として王国を支配していく。

感想

ほとんどの感想は下の方にある「ネタバレありの感想を展開する」の中に格納したので、気になる人だけ展開して読んでください。

観ようとしたきっかけ

この作品のワンシーンは、なぜかTwitterの映画関連のツイートでよく見かけてたんです。しかも英語圏ではめちゃくちゃ人気っぽい反応が多くて、たった30秒のダイジェスト動画に20万ものイイネがついていて、(え、そんなに面白い映画なん?それは見なアカンなぁ)と思わされたわけです。

ネタバレありの感想を展開する

本作の問題点

海外では人気、日本でも原作や「字幕版」は人気らしい。(現時点ではアマプラに字幕版はない)

ところが観てみてがっかりというかなんというか。最初の20分くらいまではまだワクワク感とかがあるんですけど、そのあとが拍子抜けなんですよね。で、これについて考えてみたんですけど、「主人公の年齢と出来事の乖離」ではないかと感じたわけです。

ちなみに私は原作を読んでいないので、これらの考察はあくまでも映画を観てのものです。

視聴年齢のレーティングと作品内容に大きな乖離

作中に登場する出来事と、それに多感そうな年齢
出来事適齢期
「『設定』を超えて」自分の世界に浸る~3歳
秘密基地で遊ぶ~10歳
恋愛感情10歳~
父親からの虐待~20歳
身近な友人が死ぬ20歳~

これを見て分かるように、ギリギリ納得のいく年齢設定がちょうど10歳なんですよね。7歳とかが観るにしては恋愛感情とか父親からの虐待の話は難しそうだし、12歳以上が観るにしてはちょっと幼稚で物足りない。

実際、本作の主人公は10歳という設定だそうなので、10歳くらいの子が視聴したらめっちゃ刺さるのかも

「『設定』を超えて」自分の世界に浸る

特にひっかかるのがこれ。

ハリーポッターのように実際にそういう世界としてファンタジーが描かれているならCGやVFXを使ってモンスターが出てくるのなら何の不思議もない。でも本作では、それが主人公たちだけに見えている景色として描画されているので、観ている側としてはとても困惑する。それも3歳や5歳の子供ならまだしも、もう10歳ですよ。ちょっと痛いというか、観ててキツい。

いっそこれらの描写を無しにして、視聴者に補完させるほうがよほど良かったのでは?と思いました。他のシーンを増やせるし予算も浮くし。

吹替版はとくに酷いらしい

まぁ百歩譲って「10歳という設定ならぎりぎりアリかぁ」と言い聞かせるにしても、吹き替えの声が棒読みで全員声変わりしたように野太くてとても10歳ではない。しかも主人公を演じているジョシュ・ハッチャーソンとアナソフィア・ロブも制作時は多分13歳と14歳で、小柄とはいえ10歳役としては無理があります。これが余計に「いい年したやつが幼稚なことをしている感」を増幅させてる。

それぞれの出来事に繋がりがない

ジェスが貧しい家の生まれだということ

貧乏で自家菜園に頼っていること、温室の野菜を動物に盗まれたこと、靴も買えないこと。それと作品全体との関連性。

誕生日プレゼントのもどかしさ

鍵をなくしても暴力も恫喝もない優しい父は冒頭で靴を買うよう母を説得し、安くても誕生日プレゼントを買い、息子はそのオモチャが機能しなくても「好きだ」といって返品を拒む。でもなぜ拒んだかが分からない。絵描きが好きなジェスがこのプレゼントに執着しているとは思えないし、父に気を遣ってそう言っている?でもジェスは貧乏だと自覚しているし、そんなガラクタなら返品するほうが父も喜びそうだと察しそうなもの。「これでは満足いくまい」と思っているのに息子にそう言われたら父も何も言えなくなる。そもそも靴も結局最後まで買い替えていないし、誕生日プレゼントは靴のほうが良かったのでは。――――みたいなこの親子の気持ちの噛み合わなさがもどかしい。

ジェスが速く走れるように特訓したこと

映画では描写すらないけど、それどころか動機すらも不明。いじめられる立場から一矢報いるため?(でも足が速くなっても、結局終盤までジェスの立場は変わらない)

話の筋を見るに、冒頭で靴が壊れているのでそれまでに特訓が終わっているらしい。原作ではもう少しここについての描写はありそうだけど、映画ではまじで意味が分からない。

いじめっ子だったジャニス・エイブリーが例の一件で急にしおらしくなったこと

主人公たちの関わりとかラブレターのいたずらとか一切関係なく、ただ家庭事情が学校で噂になったことで大人しくなった。

神の存在について議論すること(そしてその結果)

ジェスも妹のメイベルも神を信じているが、レスリーは信じていない。そしてレスリーは死んでしまった。信じなかったレスリーが地獄に連れて行かれたという解釈もできるし、信じていても親友を失うという地獄を与えられるという身も蓋もない解釈も可能なわけで、「これに何の意味が?」となってしまった。

呆気なく友人と死別すること

作中では彼らの思考の多くが現実化している。速く走れるようになること、動物を逃がすこと、ジャニスに報復すること、ジェスが絵を描くこと、レスリーがストーリーを構築すること、エドマンズ先生と2人きりで美術館にいくこと。でもそんなこととは全く関係なくレスリーは死んでしまう。しかも肝心のテレビシアが虚構っていう。「不条理な世界の描写」だと言われればそれまでだけど。

テラビシアに橋を架けること

切れたロープの横には、序盤にはなかった丸太が2本並んで掛かっている。雨の後に木が倒れたからそこにある?でも2本キレイに並んでて不自然すぎない?それとも、元々丸太はあったけど2人の世界では丸太は見えておらずロープしか使わなかっただけ?しかもレスリーが死んでから橋をかけてデコレーションするとか皮肉すぎない?

妹のメイベルにもテラビシアの世界が見えること

「絵が上手に描けるジェスと、想像力豊かなレスリーだけの特別な世界」じゃなかったんかいっ!

  • 雑然とした世界観を受け入れられる?
  • テレビシアは存在する?

ひとつひとつの出来事でさえ合点がいかないのに、これらのことをどう組み合わせても相互の関連性もない。リアルに近いこの雑然とした世界観を受け入れられるかどうかが大きい。

そしてもうひとつ大きいのは「テレビシア自体が存在するか存在しないか」という問題です。2人にとってみれば存在はするのでしょう。一方、客観的視点では存在しないと言わざるをえない。視聴者がどちらの立場でこれを捉えるかによって、この映画の評価が大きく変わる。そして制作陣はこれらの世界観に視聴者を没入させなければいけないし、視聴する側にもそのセンスが問われていて、没入できてこそ初めて理解できる世界観なのではないかな。

『ラブリーボーン』にどこか似てる

残念ながら私は没入できませんでしたが、海外でのすごい人気をみるに「文化レベルでの世界観の違い」が原因なのかなとも感じました。これに似たような感覚を抱いたのは、スティーヴン・スピルバーグが製作総指揮をしたアメリカ・イギリス・ニュージーランドの合作映画『ラブリーボーン』(2009年)です。これら2つの映画は精神性の根幹が似ている気がしていて、ラブリーボーンとテラビシアが両方とも好きな人、両方とも嫌いな人にくっきり分かれるんじゃないかな?と感じています。(ネタバレになるのでここでは詳細に言及しません)

両方観たことある人は良かったらコメントください。

ルッキズムひどくない?

ジャニスは凶暴で、報復されても仕方はないし、同情もされないような性格をしているのは確かなんですけど、ジャニスの顔に寄せたであろうあの巨人が登場するのは彼女の容姿をイジってるんじゃないかと思うんですよね。ジャニスとレスリーの配役を入れ替えてもこれらの描写が成立するか、或いは作品を通して視聴者の抱く感情は同じかっていうと、結構変わってくると思うんです。(まぁこんな言い方をしてる時点で私自身がルッキズムを帯びているわけで、ジャニスにはなんか申し訳ないんですけど)

それで、ターゲット層の子供がこれを観るわけでしょう?う~ん、どうなんですかね。教育上好ましいとは思えない。

お父さんがT-1000

ジェスの父親役を演じているのは、『ターミネーター2』でT-1000を演じたロバート・パトリック。だから何やねんって話なんですが、彼を他の映画であんまり見なかったもんで。