『ニュー・シネマ・パラダイス』の考察と感想

2019年4月4日

1988年にイタリアで公開された映画『ニュー・シネマ・パラダイス』のショートバージョン(劇場版)とロングバージョン(監督へのインタビュー、ディレクターズ・カットも収録されている完全オリジナル版)の両方を見ました。

概要

概要
タイトル原題年代ジャンル時間rating制作費売上監督
ニュー・シネマ・パラダイスNuovo Cinema Paradiso1988年ドラマ/ロマンスオリジナル版:155分
国際版:124分
ディレクターズ・カット版、完全オリジナル版:173分
イタリアPG12約1200万ドルGiuseppe Tornatore

あらすじ(というかストーリーの成り行きや詳細)は下記リンクでまとめています。

ニュー・シネマ・パラダイスの年代、年表

私は、映画の年表やトトの年齢を次のように考察しています。

西暦年齢季節備考
1941年0歳春先トト誕生
1951年10歳アルフレードと自転車に乗る
小学校卒業試験
アルフレードに映写技術を教わる
ペッピーノがドイツへ行く
父の戦死を知る
パラダイス座が火事になる
1952年11歳春先パラダイス座が再建される
1958年17歳青年期が始まる、エレナと出会う
1959年新年エレナと付き合う
18歳春先2人で誕生日を祝う、車に乗り始める
エレナがトスカーナへ行く
エレナとの別れ
ローマでの兵役が始まる
1960年19歳秋~冬上官に休暇を要求する
1961年20歳独居房で座り込む
兵役を終え、村に帰ってくる
アルフレードとの別れ
1991年50歳帰郷する

根拠は以下のとおりです。

西暦何年頃か

ニュー・シネマ・パラダイスの年代が具体的に西暦何年頃の出来事なのか、描写の中にいくつかヒントがあります。

情報1:イタリアは終戦している

まず最初に、映画フィルムをランプの灯火にかざして遊んでいる時、トトは「戦争が終わったのにパパは帰らないの?」と言っていて、イタリアで第二次世界大戦が集結したこと、少なくともイタリア国内は終戦したことを仄めかしています。

情報2:映画『越境者』は公開済み(1951年の夏 – )

ペッピーノが両親と共にドイツへ行こうとして車で旅立つ時、アルフレードは越境者』だなと言っています。

越境者』(原題:Path of Hope)

1950年11月22日に初公開されたイタリア映画。失職したイタリアの鉱夫が越境し、希望の地であるフランスへ向かうストーリー。

しかしペッピーノを見送った時、皆は汗をかいて薄着なので夏だということが分かります。つまりこの時は1951年以降の夏です。

情報3:スターリンが存命中(1951年の夏 – 1952年の夏)

ペッピーノを見送るシーンでは、ドイツでスターリンと遊んでろというセリフも登場します。当時、ソビエト連邦の指導者だったヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン(ロシア語: Ио́сиф Виссарио́нович Ста́лин)は1878年12月18日生まれで1953年3月5日死没です。でもスターリンの死没は3月で冬ですから、この時点では1952年以前です。『越境者』の条件も合わせると、確実に1951年の夏か1952年の夏です。

情報4:『アンナ』が公開済み(1952年春 – )

Nuovo cinema PARADISOとして新装開店し、失明したアルフレードに代わってトトが映写技師として初日に上映したのは1951年12月20日にイタリアで初公開された『アンナ』です。(1951年の冬 – )

でも映画館が焼失した冬から再建まで数ヶ月は必要ですから、この時は1952年の春以降だと考えるのが自然です。

これらの情報から、幼少期の最初は1951年~1952年で、ニュー・シネマ・パラダイスが新装開店した時は1952年か1953年の春ということが分かります。ちなみに、幼少期には他にも映画のポスターや描写がありますが、どれも1952年以前の作品です。

厳密には、幼少期のはじめは1951年ではなく1952年の可能性もありますが、私は1951年だと考えています。その理由を以下で説明します。

妹の年齢

幼少期のトトの妹は1946年生まれの5歳で、まだ小学校に行っていない可能性が高いです。

なぜなら、妹はよく泣いていてとても幼く見えるからです。母親が抱っこするほどです。また、トトと一緒に小学校へ登校する描写がありません。

もう1つの理由は父の出兵です。イタリアの降伏は1943年9月8日、終戦は1945年5月4日です。

もし妹が1945年以前に生まれた6歳以上なら小学校に通っているはずですし、1947年以降に生まれた4歳未満だと、そもそも終戦後に子作りしたことになって、どちらでも矛盾が生じます。

トトの年齢

幼少期の年齢

この頃のトトは小学5年生で10歳です。日本の教育制度では小学校4年生に相当します。

1962年の統一中学校法の制定から現在までイタリアの教育制度は次のようになっていて、小学校は1948年からずっと5年制です。1
2

イタリアと日本の教育制度の違い
年齢イタリア日本備考
過程
修業年限
学年過程
修業年限
学年
6歳小学
5年
義務教育3
1年生保育園年長
7歳2年生小学
6年
義務教育
1年生
8歳3年生2年生
9歳4年生3年生
10歳5年生4年生
11歳中学
3年
義務教育
1年生5年生
12歳2年生6年生
13歳3年生中学
3年
義務教育
1年生
14歳高校
5年
1年生2年生
15歳2年生3年生
16歳3年生高校
5年
1年生
17歳4年生2年生
18歳5年生3年生
この表における年齢とは、その年に迎える誕生日以降の年齢のこと。

トトは、アルフレードの自転車に乗っている時に5年生だと言及していますから9歳から10歳で、少なくともこの年に10歳になります。アルフレードと一緒に小学校の卒業認定試験を受けたり、夏に家族で卒業の記念と思われる撮影していることからも間違いありません。

青年期のトトは、エレナと男女交際するなかで少し厚着をしている春先に誕生日を祝い、直後に自動車免許を取り始めています。このお祝いがトトの誕生日だとすると、幼少期の春には既に10歳になっていたと考えるのが自然です。

ペッピーノを見送ったのが1951年か1952年だという話から逆算すると、トトは1941年か1942年生まれと推定できます。しかしトトが1942年生まれだと、5歳年下だと思われる妹は1947年生まれとなり、終戦後に子作りしたという矛盾が生じます。また、仮に兄妹が4歳差だと仮定すると妹は小学校に通っていることになり、これでも不自然が生じます。このため、トトは1941年生まれだと考えるのがごく自然です。

現代の子供と比べると2人共とても幼く見えますが、トトの家庭は昼ごはんも食べられないくらい貧しいと冒頭で神父と会話しているので、栄養失調気味の家庭ならありえると感じます。ちなみに、トト役を演じた子役のサルヴァトーレ・カシオ(1979年11月8日生まれ)はイタリア公開当時(1988年11月17日)で9歳です。

青年期の年齢

告白する前のシーンで、映画館の外でエレナを見かけて駆け寄った時には強い風が吹いていて、冒頭と同じように季節風シロッコのようです。春ですね。でもこの時点で年齢はわかりません。

少なくとも1954年以降である

エレナに告白したあとにトトは毎晩 彼女の家の前で待ちますが、この日数を数える時にめくっているのは1954年のカレンダーで、4月1日から(Aprile)から6月(Giugno)、8月15日(Agosto)、最後は12月30日(Dicembre)までバツ印が付けてあり、3月末~12月末が描かれていることがわかります。

ということは、トトは14歳です。えーっと・・・老けすぎじゃない!?計算を間違えたのかな?とも思うのですが、計算上はこうなってしまいます。ただ、これは単に1954年のカレンダーにバツを書いているだけで、その年が1954年だという確証がどこにもありません。この映画で年代を知る手がかりはかなり映画タイトルに込められていて、監督がわざわざ西暦で教えるような野暮なことはしないと思うんです。しかも、次のシーンでは1957年1月1日に公開された映画が登場しますからね。

(ちなみに、完全版では1957年9月26日にイタリアで初公開された『さすらい』の検査証にエレナがメモを残す。)

少なくとも1957年以降で、トトは16歳以上

エレナの手紙を読む時に屋外で放映していた映画は、1957年1月1日公開の『貧しいが美しい男たち』です。これは作品全体で登場する映画で最も新しいものの1つです。

トトは既に17歳

トトは青年期の冒頭の翌年春に自動車を仮免許で運転し始めていて、徴兵制で軍隊(第三部隊第9中隊通信兵)にも配属されているので、高校を卒業していることになります。なので青年期の描写で17歳から18歳になったことが分かります。エレナも「大学進学のために10月にパレルモに引っ越す」と言っていました。4

そして18歳から2年弱の徴兵を終えて20歳頃に村に戻ってきたのです。

なぜ徴兵期間が2年弱だと私が推測しているかというと、夏を過ぎてから徴兵に出る前にエレナを待つトトは厚着で、17時を過ぎた時点でそこそこ夕暮れなので秋頃だと分かります。そして村に戻ってきた時は真夏です。しかもアルフレードは海辺でトトを諭す時にここを出て2年もすると何もかも変わっていると言っているからです。更に、完全版では1年以上は徴兵されていることが描写されています。

恐らくトトは1941年生まれで、青年期は1959年である

上記ではトトが1941年か1942年生まれで、青年期には18歳だと推定済みです。

時系列的にはこのときが1942年と1960年、中年期が1992年でも矛盾は起こらないのですが、妹との年齢差や、映画の公開年が1988年だということを踏まえると、その設定は少し不自然です。

中年期の年齢

映画の冒頭で妹はもう30年も帰ってこないのよ、兄さんらしいわと言っていて、中年期のエレナもますから、トトが18歳から2年弱の徴兵を経ていると仮定した単純計算では、1989年1990年前後で49歳か50歳です。

1989年というのは、この映画が公開された1988年11月17日の翌年で、フランスや日本で公開された年で、合致します。

父の出兵は終戦直前?

トトは、自分の父親がどんな人物だったかあまり知らないこと、もう父を忘れてしまったことを述べています。

Totò: Mamma, se la guerra è finita, perché papà non torna mai?(ママ、戦争が終わったのにパパは帰らないの?)

Mamma: Vedrai che tornerà, uno di questi giorni.(帰るわ もうすぐ帰ってくる)

Totò: Non me lo ricordo più… Ma dov’è la Russia?(もう顔を忘れたよ ロシアってどこ?)

Mamma: Ci vogliono anni per andarci…e anni per tornare(すごく遠い所だから帰るのも時間がかかる)

母との会話をみる限りでは、父親はトトの物心がついてから出兵したと考えられます。具体的には1945年で終戦直前です。妹は5歳で、トトとは5歳離れているはずです。トトが1941年生まれで、妹が1946年生まれ。両親が1945年に妹を作って終戦間際に父が出兵したとするとトトが4歳ですから、辛うじて物心がつく年齢に達しているので辻褄が合います。

作品に感じられる季節感

作中では、何気なく季節の移り変わりが表現されています。

冒頭で強い風が吹いています。初めて見た時は「こんな風が強い日じゃなくて、もっと良い日を撮影日として選べなかったのかな・・・」なんて思ったのですが、これは春(3月~5月)になるとサハラ砂漠からイタリア南部に吹く蒸し暑い南風の季節風「シロッコ」だったんですね。

トトとアルフレードが小学校の卒業認定試験を受けた時、彼らはシャツだけの涼しい格好ですが、そこまで暑そうではありません。しかし映写技術を教わり初めてからトトの服装は段々薄着になり、シャツ1枚の次には裸になっていて、夏の暑さがピークを迎えた様子が分かります。

次のシーンではトトが正装をして家族で記念撮影をしています。恐らく小学校の卒業記念でしょうか。イタリアや多くの国では学校年度の始まりは9月1日から初中旬ですから、それを越えたことを意味します。(日本では学校も企業も4月ですが、世界的には稀)

次のシーンでは小学校の教室でペッピーノが皆とお別れをしていますから、中学校の入学記念の撮影ではないことが分かります。

更に、映画館の2階からアルフレードと一緒にペッピーノを見送る時にはトトもアルフレードもシャツ1枚の薄着ですがそこまで暑そうではなく、上半身裸の時よりも少しだけ涼しくなり、なんとなく夏の終わりを感じさせます。

父の訃報を知り、トトと母親が軍当局に出頭して遺族年金の支給証に署名をして建物から出てくるとき、彼らは厚手のロングコートを羽織っていて晩秋を感じさせます。

また、翌日にローマで入隊するトトがエレナを待っている時は厚手のセーターを来ています。

映画館が火事になった時、トトやアルフレードは厚着をして首にマフラーを巻き、多くの客がロングコートを着ていて、映画館が再建された日はコートを着ている人がまばらで、冬が過ぎ去ったことがわかります。

ニュー・シネマ・パラダイスの舞台になったモデルの場所

シチリア島パラッツォ・アドリアーノとパレルモ

作中に登場するジャンカルドは架空の村です。

この村モデルになったのは、イタリア シチリア島にあるパラッツォ・アドリアーノという内陸部にある街です。エレナが引っ越した北の沿岸部にあるパレルモまでは車で2時間。道のりにして90 kmほどです。昔はもっと時間が掛かったのではないでしょうか。

映画の冒頭では窓から海の見える部屋で母親がローマに電話をかけていますが、パラッツォ・アドリアーノは海から直線でも20 km離れた内陸のため、実際には海は見えません。

ニュー・シネマ・パラダイスの場所

これが映画館のあった場所です。

(完全版:2時間07分頃)

葬式の時と同じアングルだとこうなります。現在の道路を塞ぐように建っていたことが分かりますね。

ニュー・シネマ・パラダイス』, アルフレードの葬儀

トマトペーストを天日干ししている場所

(完全版:38分頃)

複数の女性が、赤いペースト状のものを板に塗り拡げているシーンです。これはエストラット・ディ・ポモドーロという超濃厚なトマトペーストを作っています。

エストラット・ディ・ポモドーロ(Estratto di Pomodoro)

トマトペーストを木の板に広げて天日干しし、余分な水分を飛ばすことで味を濃厚にしたトマトペーストで、南イタリアの特産品。

Estratto = 英語のExtract(エキス)、di = of(の)、Pomodoro = tomato(トマト)。

火事の直前、スクリーンにしていた建物

(完全版:52分頃)

映画館が火事になる時に噴水越しにスクリーンにした建物はこれです。映画のシーンと見比べてみると、窓や扉の位置はピッタリと同じで、建て替えられていません。

(完全版:37分頃)

その右隣にある、ちょうど噴水で扉が隠れている建物は、スパッカフィコがサッカーくじを当てて盛り上がっていたBAR CENTRALEで、この建物も当時のまま。

トトが座って悩んでいたポーチ階段

(完全版:1時間58分頃)

軍隊から戻って、アルフレードにローマに戻れと言われて夜中に座り込んでいた階段は、現実ではギリシャ正教会の階段です。道路の向かい側にはアルフレードの葬儀に使われたカトリック教会とその時計台と鐘が見えますね。これらも全て当時のままです。

今ではどれも観光名所でしょうから、保全されているんでしょうね。エレナの自宅も探してみましたがみつかりませんでした。住宅街なので探すのが大変。

ギリシャ正教とカトリックの違いについてはこの動画を見てください。(26分35秒から)↓

要するに、どちらもキリスト教なんですけど、カトリックは偶像崇拝アリ、ギリシャ正教は偶像崇拝ナシ。トトが仕えていた協会にはマリア像がありましたからカトリックですね。

ジャンカルド駅

ジャンカルド駅のモデルはラスカリグラッテリ駅(ラスカリ駅)で、同じ村にはありません。シチリア島の北端にあります。

でも残念なことに、この駅は線路の幅員拡張に伴う工事で2017年2月21日から22日の夜にかけて取り壊されてしまいました。

感想と考察

トトとエレナを見るだけでも価値がある

この映画はまず幼少期のトトが可愛い。そして青年期のエレナが美しい。この2人を眺めるだけでも、この映画を見る価値があるってもんです。

色んな愛の形を描写している

エンニオ・モリコーネが手がけたテーマ曲Tema d’amoreは直訳すると愛のテーマです。そのタイトルの通り、この作品のテーマは愛で、作中には色んな愛が詰め込まれています。

母親からのトトに対する愛

30年帰ってこなくても健気に電話をかけたり、帰ってこなかったことを責めずに全てを受容してくれています。

トトの映画に対する愛

自分の好きなことに熱中する姿勢です。アルフレードに何回怒られても映写室に忍び込むほど映画を愛しています。トトがお祈りの時にうたた寝をしていたのも、夜遅くまでランプにフィルムの切れ端をかざして遊んでいたからでしょう。神父はそれを知っているようです。

「うちは昼ごはんも食べられないからいつも眠いと獣医さんが言ってた」というトトの説明に、神父は「なぜ眠いか私だって知ってる」と返しています。しかもこのあと神父が映画館に行くことを伏せて「出かけるから帰りなさい」と言っても、トトは神父が何の用事でどこに行くかを全て知っている様子で「僕も行く!」とダダをこねているからです。実際、トトは映画館の幕の隙間から顔をのぞかせてこっそり映画を見ています。

トトとエレナの永遠の愛

シンプルに、若い男と女の恋愛感情です。しかも2人の愛は時間が経っても燃え尽きて灰になるものではない特別な愛でした。

アルフレードからのトトに対する愛

これが一番多く描かれていたように思いますし、私の心を打ったのもこの愛です。

トトをかばうために50リラをポケットから出してお互いにウィンクしたり、映写技術を学んで成長していくトトを微笑みながら見つめたり・・・ただトトを愛したくて愛している、そこに見返りは一切ありません。これは母親からの愛に似た形をしています。

エレナとの破局を企ててトトをローマに行かせたのもアルフレードなりの愛です。男女の愛は燃え尽きていつか灰になるかもしれないけど、仕事への愛は一生続くのだから。(・・・いや、まぁどっちもそうとは限らないと思いますけど、少なくともアルフレードはそう考えたんでしょう。)

夫婦の愛

トトの父親の訃報を知った母は、瓦礫の中を歩きながら泣いています。アルフレードとアンナや、映画館で知り合った夫婦も映画の最後まで夫婦のままでした。

パラダイス座は映画館と教会の兼用ではない

多くの人が、パラダイス座は教会を兼ねた映画館だと勘違いしているようです。でも2つは違う建物です。

タイルの模様が違う

教会でお祈りをしている時のタイルは白で統一されていますが、映画館のタイルは赤と白のチェック模様(市松模様)です。

お祈りのあと、神父は「出かける」と言っている

映画館に入る時も、外部扉から入ってくる様子が映っています。

遮光のために窓を閉めている

教会でお祈りをしている時は暗がりでしたが、映画を見る直前には女性が窓を閉めています。同じ部屋なら、わざわざ開けたり閉めたりしないでしょう。

映画館では日常的に色々ヤバイことがおこなわれている

売春する人、何かビジネスをする人、観客にツバを吐きかける人、映画館には色んな人がいて、色んなことがおこなわれています。

いくら兼用と言っても、まがりなりにも教会であるならこんな行為を神父が許すわけがないでしょう。

教会の鐘の位置は映画館とは異なる

神父の検閲用の小さなベルと重なるようにして教会の鐘が鳴るシーンがあります。このシーンでは鐘の塔から広場全体を見下ろしていますが、これは現実ではギリシャ正教会の鐘です。建物の足元には「Secolo XVII」の文字があるので、17世紀に建てられたのでしょう。

シネマ座はこの教会の南側に隣接していて、見下ろしたところで左側に見えています。アルフレードの葬式で使われている教会はこのギリシャ正教会の右向かいにあるカトリック教会です。

昔は私も兼用だと思っていました。でもよく見ると、神父がパラダイス座を出入りしているだけであって、教会として使われているシーンは無いんですよね。

ちなみにパラダイス座が火事になる直前、神父はチケット売りの担当者に「半額でいいぞ」と言っていますから、少なくとも神父が経営に関わっていることは事実です。

アルフレードは過去に我が子を亡くしていたのではないか

アルフレードがトトに無償の愛を注ぐところや、時には厳しいところはまるで父親そっくりです。この映画を初めて見た時は、少年と中年の年齢を超えた少し変わった友情を描いていると思ったのですが、完全版も観た今となっては、アルフレードはトトを自分の子供に見立てて育てたのではないかと感じるようになりました。

それでふと見返してみると完全版には、トトと神父が馬で棺桶を牽いているシーンで、アルフレードがその棺桶を見つめて佇むシーンがあるんです。そのあと自転車に乗りながらこう言っています。

  • よい友達を選べと子供には言ってある

  • 子供を持ったら 言う

また、トトの青年期にアルフレードは1940年に前妻を亡くしたことに言及しています。

これはあくまでも憶測ですが、実はもしかして、アルフレードは1940年に母子ともに亡くしたのではないでしょうか。その原因は戦争かもしれません。だからこそ棺桶を見つめ、その年齢に近いトトを息子のように愛したのではないでしょうか。あくまで憶測ですけどね。

子から親への愛情は描かれていない

軍当局で遺族年金給付手続きを済ませた帰り道、瓦礫の中を歩いている最中に母親は泣き出しますが、トトは映画のポスターに夢中になっています。母親にとって夫は最愛の人で尊敬している人でも、トトにはそうではなさそうです。じゃあトトは母親を愛しているかというと・・・きっと愛してはいるんでしょうけどこの作品にその描写はありません。

村を去る時にも、母親と妹と抱擁を交わしますが、最後に抱擁を交わしたのはアルフレードで、しかも2度も強く抱きしめ合っています。

作品全体を通して、アルフレードや母親がトトのことを想って何かを言ったりしたりするシーンはあっても、トトが彼らを慮って取る言動は一切ありません。

私は人生観として、「親が子を愛するのは当然だし義務だとも言えるが、子に親を愛する権利はあってもその義務は無い」と考えています。この作品でもその点は同じで、とてもしっくりきています。

広場の男性

この映画には、「広場は俺の物だ」と主張する変な男性が何度か登場します。彼は一体何者なのか。

私が思うに、彼はトトと正反対の存在だと思うんです。彼の行動はこんな具合です。

  • 広場から離れずに、専有したがり、他人を排除したがる

  • 家族愛とハッピーエンドを描いた『』(CATENE)を「気に入らん」と批判する

  • 主人公が一途な恋の失恋から村を去り、長い旅を経てバッドエンドを描いた『さすらい』を「気に入った」と高く評価する

広場は村のメタファーではないでしょうか。

この男性は、何か好きなことに取り組むわけでもなく、広場(村)から出たがらず、他人の幸せや不幸を気にして生きています。そして結局、最後まで何も得られません。

一方、トトは、大好きな映画に取り組み、村(広場)を去り、他人の人生には無関心でしたが、大好きな映画の仕事において大成功を収めました。2人は正反対ではありませんか?「彼のようになるな、トトのようになれ」というメッセージを感じます。

トトは神様を信じていない

トトがキリスト教や神について否定的だと思える描写がたくさんあります。宗教に関する描写については以下のシーンがあります。

  • うたた寝をしながらお祈りをする。

  • 寝不足の原因について、神父に対して嘘をついたあと、クローゼットからマリア像が現れる。

  • アルフレードの自転車に乗るために足が痛いと嘘をつく時、アルフレードの背後には墓(十字架)が立っている。

  • アルフレードに弁当を渡すとき、この時だけは胸に十字を刻んでいる。(でも直後にアルフレードに嘘をつく)

  • エレナと話すために神父を騙し、無断で告解室(こっかいしつ)に入る。

  • 村を去る時と戻った時、神父のことを気にも留めなかった。

どんな時でも、トトには「神様に見られている、だから正しいおこないをしなくちゃ」という認識が感じられないんですよね。きっと神様なんか信じていなかったんでしょう。

「広場の変な男性」を引き合いにだしても、「結局、人生は誰かに与えられるものではなく、自分で掴み取るものだ」というメッセージを感じます。

神父は他界している?

帰郷した時に神父の姿はありませんが、そのことについて一切誰も触れませんし、アルフレードの葬儀でも若い神父が登場しています。トトの幼少期でも既に高齢だったので、だいぶ前に亡くなっているんじゃないでしょうか。

でもそれについて一言くらい出てきてもおかしくありませんか?口の中に虫を入れられた男性や、お世話になった娼婦は登場するのに、世話になった神父について一切出て来ないというのもちょっと妙です。ここには大なり小なり、監督の思惑があるんじゃないかと私は感じています。

好きなセリフ

このセリフは、軍隊から帰ってきたトトに対して、外出しなくなったアルフレードが言った言葉です。劇場版では「会話するのが億劫になった」と何気ないセリフのように聞こえるのですが、完全版のストーリーを踏まえると「2人が会わないように企てたことを懺悔するかしないか」ということを言っているように受け取れる、とても重い言葉です。

in cui parlare o stare muti è la stessa cosa. E allora è meglio starsene zitti.

話すのも黙ってるのも同じことだ 黙ってるほうがいい

アルフレードがトトに言った最後の言葉です。

私はこのブログで人生観について「人は、好きなことをしなくちゃ潜在能力を引き出せないし、幸せにもなれない」と事ある毎に言っています。

このブログのアドレスldwylLet’s Do What You Love(あなたの愛することをしよう)の頭文字を取った略で、実はアルフレードのセリフを捩ったものです。

厳密には、映画では「あなたが何をしても、それを愛せ」と言っていて、「あなたの愛することをしろ」と言うのとは少しニュアンスが異なりますが、突き詰めるとこれらは表裏一体です。

Qualunque cosa farai… amala…come amavi la cabina del Paradiso…

自分のすることを愛せ 子供の時 映写室を愛したように

実家に電話をかけてきた相手の正体

劇場公開版ではカットされていますが、完全版ではトトが帰郷した時に自宅に電話がかかってきています。この正体は一体誰なのか。

妹の家族と母と実家で夕飯を食べている時

母は「お前によ 何度もかけてきてる お前がいつ発つのか知りたいと」と。しかし、彼らは電話には出ません。

母親と2人きりでお互いの人生について語り合っている時

トトは母との会話を邪魔されて電話回線を引っこ抜きます。母は「お前を呼んだから・・・」と申し訳なさそうで、トトは「母さんのせいじゃないよ」と言っています。

エレナの自宅に電話をかけた直後

再会をエレナに拒否されたトトは、海辺へ車を走らせます。その頃は、母親は自宅でテレビを見ていて、この時に無言電話がかかってきます。母は電話に出ますが、すぐに通話は切られます。

本当に分からないんですよね。電話の相手の聞きたいことは「いつローマに帰るのか」ということです。

ラストの場面でトトの最新作は賞を受賞したことが発覚するので、記者会見を開くため、関係者がスケジュールを聞きたかったのかな?とも思ったのですが、夜に母親が受話器を取った時は向こうから切ったので、その線もなくなっちゃうんですよね。しかも関係者だったら素直に答えたらいいだけじゃないですか?こんな塩対応する必要ありませんよね?

ただし少なからず言えることはあります。

絶対にエレナではない

この電話の相手がエレナだと考えている人もいるようです。でもそれだけはありえません。

完全版では、トトはエレナの生き写しのような娘を見て彼女のあとをつけて家に電話をするほどエレナを忘れられずにいて、青年期からずっと1番愛しているのがエレナだという描写はいくつもあります。

行方知れずになったまま生き別れたエレナから電話がかかってきたと分かれば、トトは間違いなくその受話器に飛びつくはずなんです。なのでこれはエレナではありません。

神父か

「トトには神への信仰心はない」というテーマで上のほうでも触れましたが、壮年期のトトが帰省した時に姿を現さなかったのが神父です。最初は、単に神父が他界しているだけだと思っていたのですが、もしそうじゃなかったとしたら?

  • トトが神を信仰していないという描写が多い(という客観的事実)

  • それに因んでトトが神父を忌避する理由が何かあるのでは?(という私の憶測)

まぁこれは憶測の1つに過ぎませんけど、つまり、宗教に対する信仰心をキャラクター化したものがあの神父だった、そしてトトは、神父も含めてそういう宗教心のある人間を嫌っているのではないかと思ったんです。こういう「実践してナンボ」という感覚には、アメリカにおけるプラグマティズム(実用主義)のようなものを感じました。実際、トトは恋も映画も「実践」によって成し遂げていきましたからね。一方、神父は何も為せなかった。

こういうところでトトの生き様や信条に思いを馳せたり考えてみるのも、この映画の面白い楽しみ方だと思いました。

劇場公開版には不足がある

劇場公開版はカットしている部分が多すぎて不明な部分が多すぎます。

『絆』の上映の時に隣村でスパッカフィコが映画館を仕切っているところとか、完全版を見ないと状況が飲み込めません。

もう1つはエレナとのことです。劇場公開版ではエレナとは18歳のときに生き別れたことになっています。今でも忘れられない女性なのに、そんな結末では納得ができません。だって劇場公開版だと、エレナはトトを平然と捨てた人として描かれています。少なくとも、「あの別れはエレナが望んだものではなかったこと」が描かれる必要があると感じます。

完全版は駄長ではない

完全版が駄長だと感じる人が多いようですが、私はそうは思いません。というか昔は少しそんなふうに感じていました。老け込んだエレナは見たくない、と。

でも、この映画には「色んな愛がある」という他にも「いつでも一生懸命生きろ」とメッセージを感じています。

トトはいつでも一生懸命 自分の頭を使って自分の考えを実行し、そしてそれを実現してきました。思考を現実化してきたんです。エレナを手に入れるのも仕事で成功を収めるのも。誰かに何かを与えてもらうわけではなく。

完全版でも最後までエレナと結ばれることはありませんでしたが、トトは諦めないことをエレナに誓っていて、そこには可能性があり、トトの眼差しは希望に満ちています。

エレナの夫はボッチャで良かった

初めてみたときは何でよりによってボッチャやねん!!!!って思いました。そう感じる人は少なくないはずです。でも何度も見ていると、あれはボッチャで良かったんだと思うようになりました。

もしトトのように立派な人だったら、エレナはその人を心から愛しているかもしれないし、エレナの立場に立ってみても最愛のトトと結ばれないなら誰もいいや、と身近にいる誰かで済ませてしまう気持ちも少なからず理解できるからです。

またトトがエレナを奪い返すには、勉強ができなくて性欲に溺れるボッチャみたいな奴のほうが、この映画の観客にとっても「いいぞ!トト!やっちまえ!」と思える相手で躊躇わずに済むからです。

両方見れば2度楽しめる

最初にショートバージョンを見てから、また見たいな~と思った時に完全版を見れば、2回楽しめます。

ショートバージョンには説明不足な部分が多いので、初見だと「?」と思うかもしれません。でも決してロングバージョンから見てはいけません。それだけは確かです。

出典、参考資料

あらすじ(というかストーリーの成り行きや詳細)は下記リンクでまとめています。