映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984年)を観た感想
ロバート・デ・ニーロの主演作にしてマカロニ・ウェスタンの巨匠セルジオ・レオーネ監督の遺作『Once Upon a Time in America(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ)』(1984年)を観ました。カンヌ国際映画祭の特別招待作品です。
概要
タイトル | 原題 | 初公開日 | ジャンル | 時間 | 国 | rating | 制作費 | 売上 | 監督 |
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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ | Once Upon a Time in America | 1984年6月1日 | ドラマ映画 | 139分~269分 | アメリカ | R15+ | 3000万ドル | 557万ドル | セルジオ・レオーネ |
本作は、元ギャングのロシア系ユダヤ系アメリカ人の作家ハリー・グレイ(本名:Herschel Goldberg)がミッキー・スピレイン刑務所で服役中に書いた自伝的小説『The Hoods(ザ・フッズ)』に感銘を受けたセルジオ・レオーネ監督が同小説を基に映画化したもの。デヴィッド・アーロンソン(あだ名:ヌードルス)という主人公の名前も小説のままとなっている。
興行収入についてThe Numbersでその詳細を見ると、収益としては絶望的な打撃を受けていることがわかる。アメリカ国内では成功したものの、海外では振るわなかった。制作費3000万ドルを回収できないどころか、歴代の世界映画ランキングでも最下位クラス。
最長のレストアオリジナル版に至っては4時間29分という長尺。公開当初はあまりの長尺に映画会社が難色を示し、多くの国では短縮版公開されたため酷評された。しかし、日本を含む一部の国ではオリジナル版が公開され、高い評価を得ている。
- アメリカのワイドリリース版(139分、2時間19分、時系列版)
娘のラファエラ・レオーネによればレオーネ監督自身は「自分の作品ではない」として却下していた(らしい)。
- 再編集完全版(229分、3時間49分)
レオーネ自身による再編集完全版。Amazon Prime Videoで視聴できるバージョン。
- エクステンデッド版(251分、4時間11分)
本来269分となるはずだったが、権利上の関係で18分短縮されたもの。Amazon Prime Videoにも存在はするが執筆時は視聴不可。
- レストアオリジナル版(269分、4時間29分)
エクステンデッド版の権利問題を克服したバージョン。イタリアの配給権を獲得していたレオーネの子供たち(息子のアンドレア、娘のラファエラ)と映画のオリジナル音響編集者であるファウスト・アンシライ監修のもと、イタリアのフィルムラボがオリジナル版269分を再制作することが発表され、 2012年のカンヌ国際映画祭、ヴェネチア映画祭でプレミア上映された。
あらすじ
1918年から1968年まで、ニューヨークの少年たちの成長と人生、禁酒法時代のアメリカの変遷を描いたギャング映画。
ニューヨーク、ローワー・イースト・サイドのユダヤ人居住区(ゲットー)に暮らす主人公ヌードルスは、パッツィ、コックアイ、ドミニクとの4人組の少年ギャングだったが、ブロンクスから引っ越してきたマックスと出会い、警官の弱みを握ったことをきっかけにして強大化していく。
作中には1912年に竣工して間もないマンハッタン橋が登場する。
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チャプター | 時系列 | 年代 | 内容 |
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チャプター1 | 時系列5 | 1933年 | 男たち(仕事仲間のイタリア系ギャング)はヌードルスを追ってくる。 チャイニーズ劇場チャン・ラオの店で目覚めたヌードルスは仲間3人の死亡記事を眺め、黒電話の鳴り響く音で頭痛を起こす。再び微睡むが、ハロラン巡査部長(Sgt. P. HALLORAN)に電話したことがフラッシュバックする。裏口から逃げたヌードルスはファット・モーの店の見張り番を仕留めて鍵を持ちだすが、大金が入っているはずのカバンは空だった。ヌードルスは犯人の見当もつかぬまま、バッファロー行きのチケットで街を去る。 |
チャプター2 | 時系列6 | 1968年 |
35年後、年老いたヌードルスはモーを訪ねる。8ヶ月前、ユダヤ教会からの霊園売却に伴う改装の案内が届いたにもかかわらず、先週になって再び似たような通知が届き、マックスたちの遺体はリバーデールの立派な霊廟に移送されていた。先週の手紙の送り主は誰なのか。壁には大スターになったモーの妹デボラ・ゲリーの写真。 |
チャプター3 | 時系列1 | 1918年 | デボラはレコードを掛けながら倉庫で踊り、青年のヌードルスはトイレからそれを覗き見るがバレる。店を出るとバグジーから仕事の依頼がくる。報酬は1ドルか酔っ払いの追い剥ぎ。しかし丁度通りかかったマックスに横取りされてしまう。ペギーに拒まれてアパートを出たヌードルスはマックスと再会。懐中時計を没収されるなかで意気投合し、ホワイティー巡査の弱みを握ったことをきっかけにしてバグジーとギャング稼業で張り合うようになり、5人で金庫で共同基金を積み立てる。しかしバグジーに目をつけられ、ドミニクは撃たれ、報復に出たヌードルスはバグジーを刺殺して投獄される。 |
チャプター4 | 時系列7 | 1968年 | 移設されたマックスたちの墓を訪ねたヌードルスは、その巨大な霊廟がヌードルスによる1967年の建造とされていることを知る。壁には鍵がぶら下げてあり、察したヌードルスがあの金庫を開けると、札束と「次の仕事の前払い」とするメモが残されていた。 |
チャプター5 | 時系列2 | 1930年 | ヌードルスの出所をマックスだけが出迎える。モーの店で営まれていたスピークイージー(禁酒法時代のバー)でヌードルスはデボラと再会する。マックスはフランキー・マノルディの下で働き、デトロイトでダイヤ強盗とジョーの後始末をするが、ボスに従うことを嫌うヌードルスは苦言を呈し、車のまま海に突っ込む。 |
チャプター6 | 時系列8 | 1968年11月10日 | 不正契約、収賄、マフィアとの癒着、運輸業者組合の年金基金不正流用疑惑などの一連の「ベイリー疑惑」渦中にあったフィニー商務次官が1ヶ月前に事務所ビルから転落死したことに次いで、リスター地方検事が爆死したニュースが流れる。残る証人はクリストファー・ベイリー長官のみ。労組のジェイムズ・オドネル(ジミー)もベイリーの法律顧問ゴールドも白を切る。 |
チャプター7 | 時系列3 | 1932年? | ギャングのチキン・ジョーはジミーにオイルを掛けてストライキ撤回を要求するが、社長のクラウニングに止められる。会社側にはチキン・ジョーが付き、労組側には政治家の操るヌードルス達が付き、裏ではギャングVSギャングの様相になっていた。アイエロ警察署長はスト破りに警官隊を送り込むが、ヌードルスたちは新生児室に忍び込んでアイエロの長男と他人の赤子を入れ替えて撤退を迫る。ダイヤ強盗でグルだったキャロルはアジトに来店してマックスと付き合い始め、ヌードルスはデボラに振られてしまう。INTERMISSION。 |
チャプター8 | 時系列4 | 1933年末 | ローマ法王への玉座に座るマックスは富や名声への欲望を強めていた。チキン・ジョーらを始末し、ジミーを見舞う。禁酒法時代の後の立ち回りをシャーキーから助言されるが、ヌードルスと貪欲なマックスは対立する。2人が病院を出るのと入れ違いにフランキー・マノルディがエレベーターに乗り込む。ニューヨーク連邦準備銀行を襲撃するというマックスの無謀な計画を阻止するため、ヌードルスはハロランに密告する。(※しかしこの悲劇的な事件は仲間を裏切ったマックス、政治家、警察などのシンジケートによるシナリオ通りだった。) |
チャプター9 | 時系列9 | 1968年 | ベイリー長官から何故か直々にパーティーの招待を受けていたヌードルスは、ベイリー財団による福祉施設のキャロルからマックスが密告を仕向けたことを知る。後援の女優デボラと再会して真相を問いただすが、デボラは口を濁して裏口から出るように迫り、表口を選択したヌードルスは自分と同名のデイビッドがマックスとデボラの息子であることを悟る。ベイリーになりすましたマックスと再会したヌードルスはそこでもマックスから撃つように迫られるが、撃たぬまま裏口を出る。屋敷を出ると後ろからマックスに似た男が迫ってくるが、ゴミ収集車が2人の間を通り過ぎるとその男は消えていた。事件当時、チャン・ラオの店で横になったヌードルスは、天蓋布越しに満面の笑みを浮かべる。 |
音楽はエンニオ・モリコーネ
これまた巨匠。『コックアイの歌』はあまりに印象的で、この映画を知らずとも曲だけは知っているという人も多いのでは。
感想
ここでは全体像にのみ触れます。その他の詳細な描写や考察は別ページにまとめています。
長いからこそ良さが出る映画
最初観たときは「長すぎる」と感じましたが、「じゃあどこが切れる?」と見返しても切れそうなところが見当たらない。むしろもっと長くしてほしい。一度に観るにはなかなかの大変さがあるものの、この長さだからこそ描けた景色があるとも思える超大作でした。必見です。
元々は完成した映像が10時間で、そこから6時間に編集したものを2本立てにする予定だったそう。確かに、4時間でさえも少し描写に粗さがあり、小説を事前に読んでいたり相関図を把握していない限り、初見で全てを把握することは難しいと感じました。また、完全版とは異なるバージョン(139分版)はラストが異なるらしく、バージョンによってかなり印象の変わる作品だと思います。ここまで大きな差が出るのは個人的にはニュー・シネマ・パラダイス以来。
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デボラ役の2人が最高に美しい
少女時代のデボラを演じたのはジェニファー・コネリー。父はショーン・コネリー。デボラが聖書の雅歌を読んでヌードルスとキスをするシーンは本当に美しい。
大人のデボラ役のエリザベス・マクガヴァンも、これまた若かりしジェニファー・コネリーの面影があってめっちゃいい。目元、口元、鼻までかなり似ています。マクガヴァンといえば長編の時代劇テレビドラマ『ダウントン・アビー』のグランサム伯爵夫人コーラ(ロバートの妻)役を演じた女優としてもお馴染み。
ただ、デ・ニーロと男女の組み合わせとしては少し難があるように感じました。というのも、浜辺でマクガヴァン(身長175cm)の頬を撫でる時、せっかく珍しく良いムードなのにデ・ニーロ(身長177cm)の手と比較して相対的に顔が大きく映ってしまっているからです。「髪型・アングル・レンズの焦点距離・体勢等でどうにでもカバー出来そうなのに勿体無い」と感じました。直前のダンスシーンを含め、他のシーンでも2人の身長差を感じることがなかったので余計気になります。
過去の自分にケリを着ける映画
本作には愛、ギャング、アメリカの変遷など色んなテーマが織り交ぜられていますが、それらはあくまでヌードルスやマックスやデボラを取り巻く材料であり、結局のところ「過去の自分にケリを着ける映画」だと感じました。
その理由やラストシーンの笑顔などについては別ページでまとめています。
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