『モダン・ラブ』 1-3 「ありのままの私を受け入れて」の感想
『モダン・ラブ』のシーズン1第3話「ありのままの私を受け入れて」を観ました。
あらすじ
原題:Take Me as I Am, Whoever I Am。
アン・ハサウェイ演じるレキシーは、今どき流行りの出会い系アプリではなく、昔ながらの出会い系サイトで自己紹介を書くにあたって思案しているとき、ふと部屋にあった桃を見て昔の恋愛エピソードを回顧します。仕事では有能で、しかも美人。いい感じになったジェフからも同僚からも映画『ギルダ』に出演したリタ・ヘイワースだと言われるほど。でも彼女にはちょっと人に説明しづらいことがあり、そのことで仕事でも恋愛でもその他の人間関係でも悩んでいます。
原作
- Take Me as I Am, Whoever I Am
このエピソードの、ニューヨーク・タイムズに掲載された原作エッセイ(英文)
レキシーのモデルとなっている弁護士のTerri Cheney(テリー・チーニー)は、ウルトララピッドサイクラー(ultraradian rapid cycler, 超急速交代型)という双極性障害の中でも稀なタイプを抱えていて、極端な上げ調子と下げ調子が数日単位で交互にやってきて、気分も仕事も、自分のペースを維持することが困難になります。でも子供の頃から頭は良く、作中の設定と同様に弁護士としても有能で、著名人、大手映画スタジオの代理人も務めたことがあります。
作中でレキシーがスーパーマーケットでジェフと出会った早朝、レキシーは金色のスパンコールのシャツを着て、更に桃で下ネタを繰り出す展開になっていましたが、これはそっくりそのまま事実です。違う点といえば、桃を買わなかったこと、会ったその朝に朝食を摂らなかったこと。ジェフとの仕切り直しのデート直前に映画『ギルダ』に登場するセリフ男はギルダと寝て、私と目覚めるが頭をよぎった瞬間に寂しさを覚え、手が震えてマスカラが塗れなくなってしまうというところもそっくりそのままの描写です。
最終的に彼女は、ヘスター・プリンとボヴァリー夫人の中間みたいなところに落ち着いたと語っています。
- ヘスター・プリン
ナサニエル・ホーソーンが1850年に出版したアメリカのゴシック・ロマンス小説『緋文字』(ひもんじ、英: The Scarlet Letter)に登場する女性。悔恨と尊厳の内に新しい人生を打ち建てようと努力する人物。
- ボヴァリー夫人
筆者のテリー・チーニーのツイッターこちら↓
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感想
待ってました!アン・ハサウェイ主演回。実はこのドラマシリーズを見るきっかけになったのは彼女がサムネイルに出ていたからにほかなりません。 ありのままでいようとする彼女のスタンスはとても正しいと感じましたし、同僚のシルヴィアの行動にもまた「ラブ」が感じられてとても良かった。そしてアンの表現力はさすがとしか言いようがありません。それを見るだけでも価値があります。ちなみに作中でアンは自転車に乗っていて、他の作品でも彼女はしばしば自転車に乗っているシーンがあるのですが、その作品(アマゾンプライムビデオ)を観たことがある私はちょっとそわそわしてしまいました。
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