『モダン・ラブ』1-4「夫婦という名のラリーゲーム」の感想
『モダン・ラブ』のシーズン1第4話「夫婦という名のラリーゲーム」を観ました。途中までネタバレ無し。
あらすじ
原題:Rallying To Keep The Game Alive。
夫婦仲が思わしくなく、カップルカウンセリングに通う夫のデニスと妻のサラの物語。
カウンセラーの提案でテニスを始めるも、デニスは「デニステニス」という独自のルールを押し付け、強い球を浴びせます。一方のサラは、「ルールを守ってこそ楽しさがある」と主張。
デニスは知人に会ってもサラを紹介せず、誰と飲みに行ったかを説明しません。サラもサラで、会話を避けるために寝ていたフリをしたり、デニスのファンに噛み付いたり、2人のラリーは思うように続きません。
しかも、あろうことかデートはカウンセリング後の夜という最悪のスケジュール。
半ば諦めた2人は、とうとうカウンセリングをやめてしまい、その帰りにレストランで本音の話し合いが始まります。
原作
- Rallying to Keep the Game Alive
このエピソードの、ニューヨーク・タイムズに掲載された原作エッセイ(英文)
モデルとなったのは作家のAnn Leary(アン・リアリー)と俳優のDenis Leary(デニス・リアリー)夫妻。
2人は見た目や性格までそっくりだとのことで調べてみたらたしかに目鼻口がソックリ。(左の2人)
彼らが出会ったのは彼女が20歳で彼が25歳のとき。子供と動物が大好きで、ルックス、態度、そして内面までそっくりでまだ未熟だった彼らは事あるごとに衝突していました。特に子育てに於いては。
ドラマでは、「デニステニス」はその場の思いつきで作られたルールのような描写になっていましたが、実際には南国でのロケの際に共演の俳優と考案した面白みのある複雑なルールで、サーブが無いのが特徴。
デニスの頭の中ではそのルールは確立していたのかもしれませんが、サラからすれば、思いつきで有利になるようにデニスがルールをその都度変更しているように感じてとてもストレスだったそう。
感想
実際のところは知りませんが、作中では大体はサラの我慢が足りないと感じることが多かった。でもデニスにもう少し紳士らしさがあれば大体のことは問題にすらならないんじゃないかと思いました。
こういうエピソードを見るとついつい「どっちが悪いか」をジャッジしながら見てしまうのですが、正にサラ自身がそれを体現していて、それ自体がよくないマインドだと気付かされます。
でも大事なことは優劣とか正誤じゃなくて、「とにかくラリーを続けること」、「ラリーが続くように工夫すること」なんですよね。もちろん誤ったことを他方に飲み込ませることは難しいので正誤が必要になることもあるでしょうが、ラリー自体が終わってしまっては元も子もありません。
作中で言うラリーとは単に「婚姻関係を維持する」というより「相手に寄り添う」とか「相手を理解し、自分を理解してもらう努力」と言い換えることもできるかもしれません。
こういうのが結婚式の誓いでありますよね。↓
健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?
必ずしも「維持することが成功」で「別れることが失敗」だとは断言できませんが、この誓いの言葉はとても大事だと思わされます。
人間はいつもつい情動に振り回されます。でもこれは適温じゃないお風呂に入ったまま「熱い熱い」と我慢することと同じような気がします。熱すぎるなら一旦湯船から出て、温度調節をしてから入り直しますよね。でも人生では、感情的になってしまうと冷静にそういうことができなくなります。
困難にぶち当たった時は一度視座を高めて手を加え、適温になったらもう一度その情動に浸かってみる、そんな安らかな生活を送りたいものです。
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