映画『ミスト』を観た感想(スティーブン・キング原作)
スティーブン・キング小説が原作の映画『ミスト』を観ました。なかなか興味深い映画でした。
監督はキング原作の『ショーシャンクの空に』、『グリーンマイル』も手掛けているフランク・ダラボン氏です。
もくじ
概要
タイトル | 原題 | 初公開日 | ジャンル | 時間 | 国 | rating | 制作費 | 売上 | 監督 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ミスト | THE MIST | 2007年11月21日 | SFホラー映画 | 125分 | アメリカ | R15+ | 1800万ドル | 5729万3715ドル | フランク・ダラボン |
あらすじ
ある夜、田舎町を嵐が襲う。翌朝には晴れていたが、湖畔に住む画家デヴィッド・ドレイトンは向こう岸に不気味な霧の塊を見る。
デヴィッドは息子のビリー、隣人の弁護士ノートンと3人で買い出しに向かうが、そこで霧に飲み込まれてスーパーマーケットに閉じ込められてしまう。
作中で「MP」という言葉が出てくるので補足↓
- MPの意味
Military Police(ミリタリーポリス)の略。軍警、憲兵のこと。
ネタバレ無し感想
「ネタバレ無し感想」の後に「ネタバレ考察」を書きます。
第一印象は「正直良くわからない」だけど・・・
深堀りしていくとそれなりに興味深いと思わせる作品でした。
恐らくこの作品単発だけで観ると「意味不明」と感じる人はかなり多いのではないでしょうか。全体として話にまとまりがなく、結末についてもモヤモヤが残る。原作者は何が言いたいの?監督は何が描きたいの?と。
群像劇なので、恐怖の中での人間の本性を描きたい?
それとも「行動と結果」の関係性を描きたい?
善悪の定義を提示したい?
視点は色々と浮かびますが、どの視点で観ても特に唸るような作品ではないというのが正直なところでした。でも私が見出した1つの視点は世界には善と悪、責任と無責任が条件付きで絡み合って同居していて、何かを非難することはそんなに簡単なことじゃないということです。(ネタバレ部分で後述)
ラストの改変はスティーブン・キングも称賛
らしい。確かに(読んだことはないけど)原作の結末と比較すると「映画のほうがいいかも」と思いました。モヤる部分もあるけども。
モンスターは一見チープ
この映画には怪物が登場するのですが、デザインの捉え方で一気に冷める人がいるかもしれません。
あるレビュワーは「わざとありきたりなデザインを用いることで人間に視点を向かせている」と言っていますが私はそうは思わなかった。確かに怪物のデザインや性質については特段の重要性はありませんから怪物は極論「何でも良い」わけですが、デザインは原作に則っているだけであって「わざとチープに作って興ざめする人がいては元も子もないのでその擁護は流石に無理があるんじゃないか」と思いました。
ネタバレ有り考察
霧の収束とアローヘッド計画
霧の正体は最後まで不明ですが、考察のヒントは存在します。
冒頭で窓ガラスが割れて損傷するデヴィットの絵は、キングの長編小説『ダークタワー』の主人公であるローランド・デスチェインという人物が描かれているポスターです。
『ダークタワー』には中間世界という異世界があり、『ダークタワー』の主人公はそこを行き来します。(『ダークタワー III 荒地』)
『ミスト』ではその異世界を覗く窓を軍が作って観察していたものの、何かしらの事故によって窓が扉となり、中間世界のモンスターがこちらの世界へやってきたのではないかと一般的には考察されています。この観察がアローヘッド計画です。
映画『ミスト』のラストでは何故か霧が晴れていくものの理由は明かされません。これは普通に読み取れば軍が収束させたようにも見えますが、『ダークタワー』のローランド・デスチェインが収束させたのではないかと考察する人もいます。
ちなみに『ダークタワー』も映画化されているので、気になる方はぜひ。下にAmazonプライムビデオのリンクを貼っておきます。
また、別作の小説『シャイニング』にはシャイニングという特殊能力を持つ少年が登場しますが、『ダークタワー』にもシャイニングという特殊能力を持つ少年が登場します。キングの作品には共通設定があって面白いですね。
上のはスタンリー・キューブリックが監督した『シャイニング』(1980年)。でもスティーブン・キングはこれが好きじゃないと言っていて、私も同感です。
で、1997年にスティーブン・キング本人が関わっている映画が出来ていたんですね。これは知らなかった。
気になったセリフ
- カーモディ夫人
何事も否定する(42分頃)
何も 誰のせいでもない 責任を否定するくせに 他人を非難する(1時間32分頃)
- 息子ビリー
とても大事な約束をしてほしいの
僕を怪物に殺させないで 絶対に 何があっても(1時間36分頃)
- ダン・ミラー
できる限り努力した 誰も否定できない
- アイリーン・レプラー
そうね 誰も否定などできないわ(1時間50分頃)
責任と無責任の同居
上のセリフをキーにして、作中にはいくつもこうして対比した話が出てくるように思えます。
- 冒頭で倒れた2本の樹木
デヴィッドの家の木は窓を割ってしまい、その結果、妻はモンスターに襲われてしまいます。結果だけ見れば自分に裁量権のある範囲で防げたことです。でもこれはデヴィッドの責任でしょうか。こんな出来事が想定できたでしょうか。しかもデヴィッドはすぐに修復の手筈を整えようとします。
一方、隣人のブレント・ノートンはデヴィッドから依頼されていた自分の枯れ木の伐採を3年間も怠った結果、デヴィッドのボート小屋を大破させます。これは想定できた結末で、ノートンに非があるように感じます。しかもデヴィッドは穏便に済まそうとした上にベンツに同情までしてくれたにも関わらず、スーパーマーケットでノートンはデヴィッドに暴言を浴びせます。
- シャッターの外に出ようとしたノーム
それを助けようとしたけど途中で諦めたデヴィッド。途中で諦めたデヴィッドに責任はあるのか。最初に止めなかったジム・グロンディンに責任はないのか。デヴィッドに殴られるだけでジムの罪は償われるのか。
- 8歳の息子とその妹を持つベリーショートの女性
家に子供の残してきた彼女は「みんな 地獄に堕ちて」と言い放ち、1人で霧の中に消えて行きます。でもラストでは無事2人の我が子と軍に助けられた様子が描かれています。
彼女の暴言は責められるべきでしょうか?また、スーパーマーケットを飛び出した彼女の行動は一見すると無謀で間違っているように見えましたが、本当にそうだったでしょうか?- 火傷を負ったジョーと治療薬を取りに行った結末
ジョーは自分の過失で火傷を負いました。余りの苦しさからオリー・ウィークスの銃を貸してくれと頼みますが皆はそれを拒否し、ジョーのために隣の薬局に行きます。でもそこでも仲間を失い、結局ジョーも助けられないまま死なせてしまいます。
じゃあ薬局に行くことを扇動したオリーやデヴィッドに非はあるのか。また、ジョーを銃で安楽死させていればラストの車内の犠牲者は1人減らせたけど、そうするべきだったのか。そんな結末を誰が予測できたでしょうか。
例えば、もしほかのモンスターと戦う展開になって、ジョーに使ったぶん弾が足りなかったために多くの犠牲が出た場合、ジョーに銃弾を使うことが正しかったと言えるのか。また、その展開では視聴者の恨みはジョーに向くのではないか。
- 宗教にすがるカーモディ夫人とウェイン・ジェサップを刺した男
男はカーモディに指示されたワケでもなくウェイン・ジェサップ二等兵を刺しましたが、カーモディ夫人にその責任はないのか。
また、カーモディ夫人に2発の銃弾を浴びせたオリーに罪はあるのか。カーモディ夫人を撃たなければデヴィッド達はその場で生贄にされたかもしれないし、銃の名手オリーが1発で仕留めていれば車中ではデヴィッドの分も弾も残っていたことになるけど、そのエンディングのほうが良かったと言えるのか。- 車に乗った5人の結末
- デヴィッド
- ビリー
- アマンダ・ダンフリー
- アイリーン・レプラー
- ダン・ミラー
最終的にデヴィッドは4人を死なせます。(息子ビリーもデヴィッドに「僕を怪物に殺させないで」と頼んでいた)
直後に事態は収束し、デヴィッドは後悔しますが彼に非はあるでしょうか。また、他人事のようにやってきて彼を覗き込む軍人に非はないのか。
- その場その場では最善だと思ってたけどいい結果が得られなかった行動
- どう転んでも責められるべき行動
こんなふうに、2つのおこないが対比して描かれているように感じました。全部観た後で「誰か間違っていたか」と決め付けるのは容易いことです。スティーブン・キングがラストの改変を称賛したのはこういう部分についての描写が出来ているからなのかもしれません。
あと、『ミスト』はテレビシリーズ化もされているんですね。
THE MIST is coming.
— Stephen King (@StephenKing) April 12, 2017
https://t.co/x35Cokra5H
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません